手触り感こそが自信の源になるんじゃなかろうか
最近、自分の身の回りでは
リアルでもネットでも、(最近だとネットもリアルだと思うけど)
就活だったり転活の話が多いです。
そーいう話について、
色々な方と話したり、見たり、聴いたりしてるとき、
自分のことを考えながら相対しているのですが
自己PRについてはやっぱりみんなぶち当たるし、
自分も非常に苦労したなぁ~~~って感じてます。
あれマジで苦手。
というか得意な人っているんだろーか。
「貴方の強みは?」とかパッと言われても
いや、小生、特段大したことはしておりませんが、、、
ってなっちゃう。
毎日欠かさずがんばって呼吸してトイレに行ってます、くらいしかない。
でも、絶対に作らなきゃいけないので
口だけで上手いことスパッと言い切って乗り切れる、
そんなメンタルとテクニックがある人は羨ましいなぁと妬みながら
毎回ウンウン言いながら嘘とホントのハイブリッド構造の結晶体を生成し
評価する人に投げつけてなんとかやり過ごしてきました。
まぁ、頻度が低くて、一発勝負な場合はそれでいいのですが。
こと、自分に対して、
「俺はこれに自信がある」と言うためには
こんなやり方じゃ絶対通らないんですよね。
自分で書いた文を読んで、引っかかりを覚えたらそれは真実ではないので。
それに、実際ゆっくり考えてみると、全く自信がないわけでもなくて、
「あれはできる」「これはできる」みたいな、
部分的、かつ絶対値的に自己を認められる要素ってあるんですよね。
例えば、ちょっと足速いです。とか、
ちょっと数学できます。ちょっと人と会話するの得意です。
とかとか。
それってなんでなんだろー、
翻っては自信の源ってなんなんだろーと考えていくと、
「手触り感」に行き着きました。
手触り感っちゅーのは、
「俺はこれをやり遂げたんだ」「私はこのものを作り上げたんだ」、という
第一人称視点での確固たる実績です。
さっきの例だと
- ちょっと足速いです→50m走がXX秒
- ちょっと数学できます→高2の模試の数学がXX点
- ちょっと人と会話するの得意です→面白いってあの人に褒めてもらえた
みたいな。
他者からみてどう、とかじゃなくて
自分が自分をすげえ、と思える具体的事項。
そーいうのを増やしていくこと、
そーいうことをいつでも(自分がちょっとしょげちゃったとき)に
すぐ見返せる状態にしておくこと。
それが自信の元になるのかなぁ、と思いました。
キャリアの棚卸しとか格好いい言葉はあるけれども、
それって第三者視点で書かざるを得ないですよね。
だって他者に見せる前提ですから。
そうじゃなくて、
あくまで自らを信用できんのか。
この人生ゲームの1Pのメインキャラクターのイイカンジな部分はどこか。
そのくらい身近な距離で、手触りのある実績。
それこそが、たったそれこそが自分の味方なんじゃなかろーか。
そう思いました。
と、ココまで考えて、
まずは自分のポートフォリオをまとめる活動をしないとなぁと思いつつ
のんびりと漫画を読んだりネットサーフィンをしてしまう
自堕落な俺を許してくれ。たのむ
おわる