「何者かになりたい」欲望に対する現実的な処方箋の模索:①内在系/超越系の捉え方検討
■導入
前記事からの続きで、「何者かになりたい」欲望についてどう戦い解決していくか、
現実的解法(というか、その指針)を検討していくことが目標です。
原典はこちら。(一度読んでおくと、理解しやすいと思います。まだ読んでいない人は読み物としても面白いのでオススメ)
■全体の目次
この記事を執筆している時点では、以下目次で検討を進める予定です。
①内在系/超越系の捉え方検討←これ
②「何者かになりたい」欲望の分類方法
③「何者かになりたい」欲望鳥瞰図の作成および検討の方法
④具体的アクションプランの策定
■結論
・内在系欲望とは、現在の生活をよりよくする(Better)欲望のことで、概してボトムアップ型で形成される。
・超越系欲望とは、自らの理想的状態を求める(Best)欲望のことで、概してトップダウン型で形成される。
・内在系/超越系欲望は、別軸(別次元)の区分であり、お互い直接的な干渉はしないが、成果を媒体に相互干渉し合う。
■それぞれの言葉の定義
原典および原典の原典(論文だとこんな書き方すると孫引きと教授にシバかれますね、)より、では、それぞれこんな書き方をされています。
原典
僕の解釈では、「自分が日々生きる日常が幸せならそれでいい」という人たちが内在系で、「日常が幸せなだけじゃ駄目で、普遍的な価値や、自分がこの世界に生まれた意味・目的を見つけたい」と思う人達が超越系です。
原典の原典
毎日が幸いであれば幸せになれる〈内在系〉と、毎日が幸いであるだけでは幸せになれない〈超越系〉
複雑な〈社会〉が回るには僕たちが〈世界〉から隔離される必要があります。以前の社会のように僕たちが〈世界〉に開かれていたのでは〈社会〉が回らない。だから、複雑な〈社会〉になるほど、僕たちから〈世界〉への敏感さが免除されるどころか、敏感さが制約される。それが近代社会です。近代社会にはまだ二通りの人間がいる。一方に〈世界〉との接触の記憶を鮮やかに持つ人がいる。他方に〈世界〉から隔離されて〈社会〉に閉ざされた状態しか知らない人がいる。前者は「超越系」、後者は「内在系」になりやすい。
それを踏まえて、私は現時点では内在系を以下の様に定義します。
内在系とは、現在の生活をよりよくする(Better)事柄の区分。
内在系の例で上げられている事項を見ると、
結婚とか家庭とか定職とか、
社会通念上で「普通の人が普通にいい暮らしをしているとされる各種条件」
みたいに見えたんですよね。
これって、言い換えると
「自分もできて当然だよね(=できていない自分は異常)」
とも考えられるかなと。
つまり、自分がその状態には成れて然るべき。自分の延長線上にあるべき姿で、自分を改善(Better)して積み上げて(ボトムアップして)いけばたどり着ける(と信じられている)レベルの事柄が該当すると思い、この定義にしました。
対して、超越系は以下の通り。
超越系とは、自らの理想的状態を求める(Best)事柄の区分。
こちらは捉えやすく、イメージするのは最高最強(Best)の自分。
誰がどう見ても圧倒的で、No1である状態を指すので、思考パターンとしてはトップダウン型だろうなと思いました。(例は割愛)
■内在系-超越系間の関係性は「対比」なのか?
さて。この2つの区分がどのような関係性を持つのか、検討を進めます。
最初は原典の図にもあるように、「対比」を軸で検討しました。
しかし、具体例を上げて検討すると、「対比」では不都合が生じることが分かりました。
例を筋トレとしましょう。(余談ですが、今でもまことしやかに筋肉は全てを解決する理論が囁かれていますね。私はある程度の真実を含んでいる派です)
筋トレは、同じ行為でも、実施者によって目的は異なります。
ハーフスクワットを30回やる、その中にも
「健康になりたい」「ダイエットしたい」
「メイン競技のレベルを高めたい」「スクワットが好き」「虚無」など、
様々な理由があります。
この個別な理由の場合は内在系/超越系の区分ができそうですが、現実として、複数が合わさっている場合も容易に想像できます。
「ダイエットしつつ、メイン競技のレベルを高めたい」などです。
そのため、内在系-超越系間の関連性を「対比」とするのは、あまり適切ではなさそうです。
(ちなみに後ほど執筆予定の③「何者かになりたい」欲望鳥瞰図の作成および検討の方法では、まさにこの思考プロセスの逆再生により、欲望の高品質の分割を目指します)
■内在系-超越系間の関係性は別平面である
ここで、根本に立ち返ってみます。
欲望が満たされたかどうか、人は何を持って判断するのでしょうか。
これはシンプルに「成果」だと思います。
あるいは「実績」や「結果」と読み替えてもよさそうですが、有形無形問わず、主観的に何かしらの形となるか、一段落したと言えるもの。
自らが(100%ではないにしろ)ある程度の納得性を持てるレベルのもの。
そのようなものをここでは「成果」と言っています。
内在系、超越系はいずれも欲望の分類に過ぎないため、成果と結びつきます。
しかし、「対比」で検討したように、同軸での表現が難しいことが分かりました。
なので、別軸で表してみましょう。
この表現にすると、自分的にはしっくりきました。
非常にかんたんな図ですが、書いてみると以下の事に気づきました。
・成果は、内在系/超越系両方の欲望に紐付きそう
・成果の評価は、内在系/超越系それぞれ個別に(=多角的視点で)したほうが良さそう
・内在系と超越系は、成果を媒体として相互干渉しそう
特に3つ目がポイントで、内在系-超越系間では、系を超えた転移が起きることが明示されています。
皆さんも経験あると思います。
最初は「ただやってみたい!」とか「なんとなく周りがやっているしちょっと手を付けてみるか・・・(内在系)」から、「大会で勝ちたい・圧倒的な記録を残したい(超越系)」へ段々とメンタルが変わっていくのを。
内在系の世界(内在-成果平面)にいたら幸せだったはずなのに、
いつの間にか超越系の世界(超越-成果平面)に写ってしまう。
知らなければ幸せだった・・・ってやつですね。
このように、内在系-超越系間の関係性は別平面と捉えるのが、しっくり来そうです。
■結論(再掲)
まとめると、以下のとおりです。
・内在系欲望とは、現在の生活をよりよくする(Better)欲望のことで、概してボトムアップ型で形成される。
・超越系欲望とは、自らの理想的状態を求める(Best)欲望のことで、概してトップダウン型で形成される。
・内在系/超越系欲望は、別軸(別次元)の区分であり、お互い直接的な干渉はしないが、成果を媒体に相互干渉し合う。
そこそこの長文になりましたが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
次回は②「何者かになりたい」欲望の分類方法について、執筆できればなと思います。
(他に書き記しておきたいこともあるので、前後するかもしれませんが、、、)
おわり。