楽しい人生のTips

楽しいと楽は違う

丁寧に計画された文章構成(あるいは、いい印象の付け方)

仕事中、ピョコっとチャットの通知が来る。

小窓の時点で見える最初の短文。ウチの親分からだ。

 

 

「緊急の用事があります」

 

 

なんともピリ付く言葉だろうか。

すごく開きたくねえ。帰っていい?

 

そんな発言を飲み込みながら、親分と話し合い。

 

 

いわく、

 

「新規に入った方々(別会社)のメールが酷すぎてどうしようもない。

 なんとか仲介に入ってくれないだろうか」

 

と、お客様からヘルプ依頼が入ったのだ。

 

 

そう、もうじき私は開放される。リリース。脱獄。

この支配からのなんとやら。

 

 

 

で。

新しく、別会社の面々に色々な業務を絶賛引き継ぎ中なわけで。

 

そのなかで「これからは担当お願いしますね」と、

既にまるっと担当を移管した部分があるのだが、そのやりとりのメールがどうもよろしくないと。

 

 

いやいや、口頭で会話している感じ、そんな変な印象はなかったぞ?

そう思いながら、連携された文面を見る。

 

 

ううーん。確かに。これはよくない。

なんというか、雑。

 

 

どこが雑だと感じたのか思い出してみると、以下の通り。

・主語がまあまあの頻度で欠けている

・経緯がなく、内容が唐突に始まる

・その割に、内容がまとまっておらず、聞いた内容をそのままテキストに起こしている感じ

 

 

確かに、これは気になる人は気になるし、

初めてのメールでこの品質だと不安になるなと感じるようなものでした。

 

 

聞くべきところは聞けているけれども、「この人、大丈夫?」って印象を与えてしまう。

仕事を手放しでは任せたくないな、と思わされてしまう。

 

 

逆に、いい印象を与える文章ってなんだろう、と考えると、

スッと淀みなく入ってくる可読性と、

そのメールを見れば解決する完結性なのかな。と思いました。

 

 

特に後者の完結性ってすごく難しくて、

確認を依頼するメールに対する返信でも、

単に「確認しました」だけでなくて、「XXがXXなことを確認しました」のような、

可読性を損なわないままにひと手間かける技術、みたいなものは見えつつも、

もっと一般解で良くなるフレームワーク的なものは模索中です。

(5W1Hは漏れがないけど、常にそれはクドいし。。。)

 

 

 

話がそれましたが。

 

そういう、相手を不安にさせないように計画(設計)された文章構成は、

テキストベースの会話だと、実はものすごい重要なことなのではないかな、

と思っています。

 

 

もっと抽象的な言い方でいうと、思いやりという捉え方になるのだろうけど

仕事における連絡って自分の意図した形に受け取られるように投げつけるものなので

もうちょっと暴力的な表現があればいいなぁと思います。ドッジボールくらい。

 

 

それに、

チャットのような即応性でなく、

メールのちょっと止まって考える感じも、嫌いじゃないですしね。

 

 

 

おわり

前向きに現実逃避することを考える

先日、

「熱中すると、現実を忘れられるのがいい」

という趣旨のつぶやきをみた。

 

確かに。

 

後ろ向きの考え方...ってだけではなく、

現実として「スッキリしたなぁ~」というキブンになれることもある。

一つの快感だ。

 

なんで熱中が気持ちいいんだろーな、ということを考えてみると、

頭の中をカラッポにすること、それそのものが心地よく感じるように

人間ができているんだと思う。

 

日々生きていても「メンドい」ことって湧いてくる。(健康とか、人間関係とか、立場・キャリアとか、、、)

多分、その「メンドい」ことは多少形が変わったとしても遠い昔からあったことで、

だからこそ、カラッポ=キモチイイというように認識する個体が残ったのかなぁと。※妄想です

 

では、どうやったら能動的にカラッポになれるのか。

 

これは、徹底的に今現在・この場所に集中することだと、強く確信している。

言い換えると、捉える時間軸を徹底的に狭くする。文脈を気にせず、目の前のことのみを捉える。

問題を微分して変数を減らしていき、考える要素を削ぎ落として、ただやるイメージ。

 

そういう時間を何処かでつくれたら、

とてもいい一日だったなと感じられる気がする。

 

 

おわり

「何者かになりたい」欲望に対する現実的な処方箋の模索:①内在系/超越系の捉え方検討

■導入

前記事からの続きで、「何者かになりたい」欲望についてどう戦い解決していくか、

現実的解法(というか、その指針)を検討していくことが目標です。

 

原典はこちら。(一度読んでおくと、理解しやすいと思います。まだ読んでいない人は読み物としても面白いのでオススメ)

 

 

■全体の目次

この記事を執筆している時点では、以下目次で検討を進める予定です。

①内在系/超越系の捉え方検討←これ
②「何者かになりたい」欲望の分類方法
③「何者かになりたい」欲望鳥瞰図の作成および検討の方法
④具体的アクションプランの策定

 


■結論

・内在系欲望とは、現在の生活をよりよくする(Better)欲望のことで、概してボトムアップで形成される。
・超越系欲望とは、自らの理想的状態を求める(Best)欲望のことで、概してトップダウン型で形成される。
・内在系/超越系欲望は、別軸(別次元)の区分であり、お互い直接的な干渉はしないが、成果を媒体に相互干渉し合う

 

 

■それぞれの言葉の定義

原典および原典の原典(論文だとこんな書き方すると孫引きと教授にシバかれますね、)より、では、それぞれこんな書き方をされています。

 

原典

僕の解釈では、「自分が日々生きる日常が幸せならそれでいい」という人たちが内在系で、「日常が幸せなだけじゃ駄目で、普遍的な価値や、自分がこの世界に生まれた意味・目的を見つけたい」と思う人達が超越系です。

 

原典の原典

毎日が幸いであれば幸せになれる〈内在系〉と、毎日が幸いであるだけでは幸せになれない〈超越系〉

複雑な〈社会〉が回るには僕たちが〈世界〉から隔離される必要があります。以前の社会のように僕たちが〈世界〉に開かれていたのでは〈社会〉が回らない。だから、複雑な〈社会〉になるほど、僕たちから〈世界〉への敏感さが免除されるどころか、敏感さが制約される。それが近代社会です。近代社会にはまだ二通りの人間がいる。一方に〈世界〉との接触の記憶を鮮やかに持つ人がいる。他方に〈世界〉から隔離されて〈社会〉に閉ざされた状態しか知らない人がいる。前者は「超越系」、後者は「内在系」になりやすい。

 

 

それを踏まえて、私は現時点では内在系を以下の様に定義します。

内在系とは、現在の生活をよりよくする(Better)事柄の区分。

 

内在系の例で上げられている事項を見ると、

結婚とか家庭とか定職とか、

社会通念上で「普通の人が普通にいい暮らしをしているとされる各種条件」

みたいに見えたんですよね。

 

これって、言い換えると

「自分もできて当然だよね(=できていない自分は異常)」

とも考えられるかなと。

 

つまり、自分がその状態には成れて然るべき。自分の延長線上にあるべき姿で、自分を改善(Better)して積み上げて(ボトムアップして)いけばたどり着ける(と信じられている)レベルの事柄が該当すると思い、この定義にしました。

 

対して、超越系は以下の通り。

超越系とは、自らの理想的状態を求める(Best)事柄の区分。

こちらは捉えやすく、イメージするのは最高最強(Best)の自分。

誰がどう見ても圧倒的で、No1である状態を指すので、思考パターンとしてはトップダウンだろうなと思いました。(例は割愛)

 

 

 

■内在系-超越系間の関係性は「対比」なのか?

さて。この2つの区分がどのような関係性を持つのか、検討を進めます。

 

最初は原典の図にもあるように、「対比」を軸で検討しました。

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210713235025p:plain

内在系と超越系の関係性?(原典より)

 

しかし、具体例を上げて検討すると、「対比」では不都合が生じることが分かりました。

 

例を筋トレとしましょう。(余談ですが、今でもまことしやかに筋肉は全てを解決する理論が囁かれていますね。私はある程度の真実を含んでいる派です)

 

筋トレは、同じ行為でも、実施者によって目的は異なります。

ハーフスクワットを30回やる、その中にも

「健康になりたい」「ダイエットしたい」

「メイン競技のレベルを高めたい」「スクワットが好き」「虚無」など、

様々な理由があります。

 

この個別な理由の場合は内在系/超越系の区分ができそうですが、現実として、複数が合わさっている場合も容易に想像できます。

「ダイエットしつつ、メイン競技のレベルを高めたい」などです。

そのため、内在系-超越系間の関連性を「対比」とするのは、あまり適切ではなさそうです。

(ちなみに後ほど執筆予定の③「何者かになりたい」欲望鳥瞰図の作成および検討の方法では、まさにこの思考プロセスの逆再生により、欲望の高品質の分割を目指します)

 

  
■内在系-超越系間の関係性は別平面である

ここで、根本に立ち返ってみます。

欲望が満たされたかどうか、人は何を持って判断するのでしょうか。

 

これはシンプルに「成果」だと思います。

あるいは「実績」や「結果」と読み替えてもよさそうですが、有形無形問わず、主観的に何かしらの形となるか、一段落したと言えるもの。

自らが(100%ではないにしろ)ある程度の納得性を持てるレベルのもの。

そのようなものをここでは「成果」と言っています。

 

 

内在系、超越系はいずれも欲望の分類に過ぎないため、成果と結びつきます。

しかし、「対比」で検討したように、同軸での表現が難しいことが分かりました。

 

なので、別軸で表してみましょう。

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210714225430p:plain

内在系-超越系-成果の3次元イメージ

 

この表現にすると、自分的にはしっくりきました。

 

非常にかんたんな図ですが、書いてみると以下の事に気づきました。

・成果は、内在系/超越系両方の欲望に紐付きそう

・成果の評価は、内在系/超越系それぞれ個別に(=多角的視点で)したほうが良さそう

・内在系と超越系は、成果を媒体として相互干渉しそう

 

特に3つ目がポイントで、内在系-超越系間では、系を超えた転移が起きることが明示されています。

 

皆さんも経験あると思います。

最初は「ただやってみたい!」とか「なんとなく周りがやっているしちょっと手を付けてみるか・・・(内在系)」から、「大会で勝ちたい・圧倒的な記録を残したい(超越系)」へ段々とメンタルが変わっていくのを。

 

 

内在系の世界(内在-成果平面)にいたら幸せだったはずなのに、

いつの間にか超越系の世界(超越-成果平面)に写ってしまう。

 

知らなければ幸せだった・・・ってやつですね。

 

 

このように、内在系-超越系間の関係性は別平面と捉えるのが、しっくり来そうです。

 

 

■結論(再掲)

まとめると、以下のとおりです。

・内在系欲望とは、現在の生活をよりよくする(Better)欲望のことで、概してボトムアップで形成される。
・超越系欲望とは、自らの理想的状態を求める(Best)欲望のことで、概してトップダウン型で形成される。
・内在系/超越系欲望は、別軸(別次元)の区分であり、お互い直接的な干渉はしないが、成果を媒体に相互干渉し合う

 

 

そこそこの長文になりましたが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

 

次回は②「何者かになりたい」欲望の分類方法について、執筆できればなと思います。

(他に書き記しておきたいこともあるので、前後するかもしれませんが、、、)

 

 

おわり。

生活における第二宇宙速度の考察

 

■導入

先日流れてきた、はてブの記事について色々と考えるところがありました。

(あの2軸の切り方、面白いなぁと思いました。実際のシチュエーションとして当てはめるにはもう少し工夫が必要そうですが、読み物として非常に質が高いなぁと感じました...こんなのが無料で読めるんだからネットは最高。ちなみに内在系/超越系ってワードは哲学のなにかの概念からチョイスしたんでしょうかね?)

amamako.hateblo.jp

 

 

 

その中で「そもそもこの悩みってどの状況にある人が陥るのだろう?」という

疑問があり、検討してみました。

(逆に言うと、この水準を満たしていない場合は、悩む前にもっと大きな問題があるので目の前のことをやったほうがよいということになる)

 

 

■結論

「何者かになりたい」という欲望は、生活における第二宇宙速度(生活および趣味に必要な金額が賄える収入を得ている状態)の突破後に検討事項とすべきである。

 


■そもそも、第二宇宙速度とはなにか

一般的に使われる第二宇宙速度とは、物理学で扱われる用語です。

○第二宇宙速度:地球の重力を振り切るために必要な、地表における初速度である。約 11.2 km/s(40,300 km/h)で、第一宇宙速度の√2倍である。地球から打ち上げる宇宙機を、深宇宙探査機などのように太陽を回る人工惑星にするためには第二宇宙速度が必要である。地球の重力圏を脱出するという意味で地球脱出速度とも呼ばれる。(参考:wikipedia

→ざっくり言うと、地球の重力圏を脱出するために必要な速度のことです。

 

また、順番が前後してしまい恐縮ですが、後ほどの考え方に必要になるので、合わせて第一宇宙速度についても引用。

 

○第一宇宙速度:地球において、その高度を海抜ゼロ(海面もしくは地表すれすれ)とした(仮想上の)円軌道の衛星軌道の軌道速度で、約 7.9 km/s (= 28,400 km/h) である。地表において、ある物体にある初速度を与えたと仮定した場合、その速度がこの速度未満の場合はどのように打ち出したとしても、弾道飛行[1]の後に、地球の地表に戻ってしまう。逆に、これを越えて[2](第二宇宙速度未満で)水平に打ち出した場合、その地点を近地点とする楕円軌道に投入される。

 

→こちらもざっくり表現すると、地球に対し衛星軌道上に走行するのに必要な速度のことです。

 

■生活における第二宇宙速度ってなに

前述の宇宙速度について、生活に置き換えて検討すると、以下のようになります。

 

○第一宇宙速度(物理):地球に対し衛星軌道上に走行するのに必要な速度

一宇宙速度(生活):生活に必要な金額が賄える収入を得ている状態

 

○第二宇宙速度(物理):地球に対し衛星軌道上に走行するのに必要な速度

第二宇宙速度(生活):生活おょび趣味に必要な金額が賄える収入を得ている状態

 

 

つまり、生活が問題なくでき、かつ趣味にお金をある程度割くことができる、金銭的にちょっと余裕がある状態をイメージしています。

 

この場合、趣味をやる余力がある状態ですので、肉体面だけではなく、精神面もある程度健康な状態であるとも言えます。

 

■どんな人が生活における第二宇宙速度を突破しているの

この生活や趣味にかかるコストは本当に千差万別なため一概にこの金額!といえるものではないです。(養う対象が多ければ生活コストは上がりますし、お金がかかる趣味なのであれば趣味のコストは青天井になりえますよね。高級車とか。)

 

しかし周りを見ていると、独身であり、特別お金がかかる趣味などもない場合は、概ね30前後(26~35の間)に、この第二宇宙速度を突破した状況になる人が多いみたいです。

 

ちなみに、この年代で独身の割合は男女差ありますが、凡そ5割くらいのようです。(参考ページ

 

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210711181238p:plain

年齢別結婚比率

 

 

■概算でいいから教えて

都内一人暮らしの状態と仮定して過去の記事を参考にすると、

○第一宇宙速度(生活)→手取り203万

 

趣味を月3万円とすると、年額36万となるので、

○第二宇宙速度(生活)→手取り(203+36)万=手取り239万

 →額面になおすと、340万程度ですかね。

 大きめの企業に努めていたら、一年目から突破していてもおかしくないのかも。

 

tanoshii-jinsei-23.hatenablog.com

 

 

 

 

■結論(再掲)

「何者かになりたい」という欲望は、生活における第二宇宙速度(生活および趣味に必要な金額が賄える収入を得ている状態)の突破後に検討事項とすべきである。

 

 

第二宇宙速度突破後の「何者かになりたい」という部分については、後日記事にしようと思いますので。あしからず。

 

 

おわり

実際にいきていくために必要な額面年収の目安(東京都の場合)

はじめに

 

以前、東京で生活するに当たり、どれだけの生活費があればやっていけそうか試算したことがある。

 

■過去記事(ダイマ

実際手取り収入がいくらあれば東京で最低限暮らせるんだっけ?

実際手取り収入がいくらあれば東京で最低限暮らせるんだっけ?(二人暮らし編)

 

 

しかし、社会人の大多数は雇われの身だ。

(参考:サラリーマン割合が87%の日本?起業・自営業も含めて割合を比較!)

 

つまり、ほとんどの人間は給料は額面で伝えられる。
転職時にも額面年収での給与交渉がほとんどだ。

 

なので、正確性を検証するならば手取り収入で考慮すべきだが、
実用的なベンチマークとしては額面年収で算出しておくべきだろう。

 

 

また、ベンチマークを持っておくことで、
今の職場が気に食わなかったり、業界を変えたいとなったときに
「好きなことをやるにしても、最低限このくらいは欲しい」という
大まかな目処感を持っておくことは、意思決定においてかなり有用である。
(いわゆる、ライフワーク/ライスワークのバランス検討)

 

 

ということで、やってみましょう。

 

0.結論

 以下の通り。(身も蓋もない)

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210403115139p:plain


 

1.手取り月収→手取り年収への変換

前提として、今回の算出方法なのだが
「毎月の生活に必要な金額」×14で算出する。 (12ヶ月+夏冬賞与1ヶ月ずつ)
また、今回は一人の稼ぎで検討する。

 

「毎月の生活に必要な金額」は過去記事(記事冒頭リンク有)から参照とすると、
一人暮らしの場合…14.5万円、二人暮らしの場合…24.6万円となる。

これにそれぞれ14をかけると、
→①一人暮らしの場合…203万円、②二人暮らしの場合…344万円となる。

 

 

2.手取り年収→額面年収への変換

こちらのサイトを参考に、額面年収,手取り年収の比較グラフを作成した。
x,y軸はそれぞれ[万円]としている。

 

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210403113422p:plain

額面年収、手取り年収の関係性(200-980万円)



→ざっくり見積もると、①260万円、②440万円といったところか。

 

纏めると、以下の表になる。

 

f:id:tanoshii-jinsei-23:20210403115139p:plain 

3.雑感

・やっぱり東京は高いけど、一人暮らしの範囲だと正社員だと職業自由度は高そう

2馬力は正義

・グラフを作ってわかる、税のエグさ

 

社会人を3年やってみて思ったこと

もう2月も終わり、3月になるらしい。
つまり、もう一ヶ月経過すると、社会人3年目が終わるということだ。

 

 

3年間と言うと、かなり長い期間に感じる。

 

 

中学・高校は入学から卒業まで。
大学で言うと、研究室・ゼミに入ってから、一通りの成果を出すまで。
(学部4年・院2年)

 

 

3年って、区切りにちょうどいいのかもしれない。
このくらいの期間があると、肉体的にも精神的にも大きな変化があるし。

 

 

学校から社会に放逐された身として、
今後も(イヤイヤながらも)お仕事に向かい合わなければ行けないので、
これを機に、いくつか思ったことを文に残して置きたいと思う。

 

 

社会人になって思ったのは、大きく2つ。

 

 

1.社会人でいう「仕事がデキる要素」は単一ではなく、複雑系である。

 

自分はIT系をベースに、他業界に関わる形で働いているので、
正直プロフェッショナルなことはあまり分からない。
(具体的かつ高難易度な課題を解く仕事をしていない)

 

という視座で見た3年間で、
「仕事がデキる」とはどういうことなんだろうなー、
と怒られ・詰められながら考えた、現時点の結論なのだが

 

「仕事がデキるかどうか」とは、

以下3点の複合系で評価されるんじゃないかと感じている。

 

  1. 物事を理解すること
  2. 物事を説明すること
  3. 物事を進めること

 

また、この3つはその立ち位置によって、重みが変わってくる。

 

  1. 物事を理解すること→a)現場の人間
  2. 物事を説明すること→b)現場のリーダー…a)とc)の間
  3. 物事を進めること→c)プロジェクトのリーダー

 

そしてこの3つは、全部必要な能力、求められる素養が
それぞれ異なるんだな、、と3年かかってようやく気付く(とても遅い)

 

 

自分の少ない人生経験で無理やり当てはめると、以下のように対応する感じ。

いわゆる「お勉強」「研究」は1,
ゼミの週次報告や、学会発表は2,
部やサークルの取り仕切りや、イベント企画は3

 

 

…こう書き出してみると、今までの人生で逃げていた部分のツケを
ここで無理矢理に精算させられている、そんな感じがしてつらい。

 

 

 

というか、無理なものは無理なので、

そういうときは自分が↑の1~3のうち、どれがストレス少なくできるか、

という視点で仕事を選んで行ったほうがいいのかなぁ。。。

という気がしている。

 

 

ちなみにIT系は3年チョロッと見た感じ、1のみ特化だと
お賃金は安めな印象なので、凝り性な人は別の業界のほうがいいのかな、
なんて思ったりする。(ひどい話だよね。)

 

 

2.みみっちい計算は、みんな思ったより大事にしている。

 

私は小心者な人間なので、

こんなのとかこんなのをよく考えているのだが、

それでも何かしらの決断をするときか、その前準備をするときくらいである。

 

 

いや、仕事、こんなのばっかじゃない?

 

正直、気が滅入る。
管理コスト多すぎ。

 

 

準備は大事なのはすごい同意するし、準備しない人は正直あまり好きではないが、
「やった結果を見て、フィードバックで考える」という
トライ&エラーで仕事を進められないのが
自分にとってすごいストレスを感じるんだな、ということがわかった。

 

 

多分これは気質の問題で、
管理するより、管理される側の人間の方が合ってるんだろうな、と思う。

 

一方で、みみっちい計算(しかも、大体計算対象がしょーもない)は
社会人としてよく求められるので、
そのへんを以下にストレスを感じずにこなしていくのか、という
課題はあるのだろうなー。という気もしている。

 

 

1.にガッツリ絡む話だけど、
もうそのあたりから完全に手を引く、というのもありなんだろうなー。

 

 

 

とりあえず、明日が月曜日というのがとても嫌ですね。アーメン。

 

 

おわり。

嫌になる

2月17日。

溜息をし続ける、そんな一日だった。

 

他人に対してよくない感情を持つことが多かった。

 

 

顧客が雑に仕事(と、責任)を押し付けてくるそのやり方に眉をしかめ、

 

ちょっとした作業依頼に対応したら上司から職務分掌を問われる語気の荒いメールが飛んできて、返信を考えるためにこめかみを抑える羽目になり、

 

他の人の引き継ぎで普段出ていない会議に出たら、
ある関係者が、場所場所で報告内容を(恐らく意図的に)変えていることが発覚し、
急遽対策を考える会に巻き込まれ、

 

嫌になったので早めに上がろうとしたら、年上の方に諭される。
曰く、
「あなたの作業を私に依頼しているような状態なのに、仕事を増やしているとは何事だ。
 仕事が回らないのなら、回らない状態であることを周囲に共有し、対策を立てねばならないのだ。」と。

 

 

謝罪だけして、早々に帰路につく。
やってられるかばかやろー。と心の中で悪態をつきながら。

 

 

家につき、ぐずぐずとした気持ちを抱えながら、

明日やることを整理しているときに、ふと気付く。

その年上の方が自分にこんな注意をしたのは初めてだと。

 

 

普段どうしてたっけ?と思い返してみると、

そもそも、そういう状況に追い詰められる前に、

「ヤバいよー!」と叫んで、巻き込んでいたなー、と気付く。

 

 

 

普段できていたことが、できていない。
いつもなら気にせず流せることに、イライラする。

 

 

 

どうやらへとへとだったらしい。ゆっくり休ませてあげよう。

こんな日は心地いいジャズ・ミュージックを聴きながら、ホットココアを飲むに限る。

 

 

小休止。しましょう。